人は何の為に仕事をするのだろう?
人は何の為に勉強をするのだろう?
人は何の為に今やるべきことに取り組むのだろう?
『何の為に?』を自分自身に深く説いたことはあるだろうか?
ある友人(私は親友と思っているが)が、ふと言い放った言葉。
「ビジョンが見えない。何をしたいのかがわからない」
この言葉を自分は直接聞くことは無かった。
しかし、自分に言われているかの様に、頭をハンマーで打ちつけられたかのような衝撃を受けた。
もともと私が『何の為に?』を考え始めたのは、25歳から26歳になる時。ちなみに私はニューヨーク、ニュージャージーに生活の拠点を置いていた。
何の為に仕事を辞めて、渡米したのか?
何の為に貧乏をしているのか?
何の為に大学へ戻るのか?
こんなに苦しむことは無かったんじゃないのか?
いろいろな事が頭をよぎった時代だった。
私は特に「アメリカに残りたい!」や「絶対にここで働きたい!」というのはさほど無い。
28歳となった現在、西海岸のスポーツ関係の会社で働いている。
しかし、26歳の時から『何の為に?』を考え続けてきた。
そして行動に移してきた。行動に移すということは、容易なことではない。
特にこれといった特技や知識、学力があったわけではない。
もちろん足を一歩踏み出す時には、人の数倍もの勇気が必要になる。
渡米以来、様々なことをしてきた。
寿司シェフ
日本語教師
競技スキーコーチ
大学院生
地域のスポーツイベント(スペシャルオリンピックへのチャリティー)開催
球団職員
そして、今の会社
紆余曲折してきたかもしれない。
遠回りをしてきたのかもしれない。
でも、間違っていたとは思っていない。
それは『何の為に?』を考えて、『座標軸を持ち』ながら生きてきたから。
もしかしたら、最近これらの意識を持てるようになったのかもしれないが。
お笑い芸人である博多大吉さん著"年齢学序説"にて、
「芸人でもスポーツ選手でも、成功している人は26歳の時に世に出ている」
と記されている。
私がまだ社会人1年目の時に、上司であり人生の師匠である方に
「人間は25、26歳の時が勝負だ!そこで『気づき』が無ければ、一生そのままだ。」
と教わった。
26歳の時が、自分にもターニングポイントであってほしい。
今日は、今を突っ走っている友人から『何の為に?』をもう一度考える機会を頂いた。
もう一度座標軸を確認しよう。
そして行動に移そう。
行動することによって、自分が考えているより、結果は簡単に出るかもしれない。
行動すれば、視界が変わる。自分が変わる。
つまり、
成長できる。
一意専心。
友よ。有難うございました。
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